京都 日本

早朝の清水寺・参拝 ~静寂と清々しさを感じる旅~

2021-10-20

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「旅とアロマ」にお越しくださり、ありがとうございます。

紅葉シーズンを迎える2021年10月に、あまり人のいない清水寺に行ってきました。清水寺は朝6時から開いており、早朝の参拝は、朝の清々しい空気を味わえるだけでなく、人混みを避けることもできます。人が少ない、早朝の清水寺をお楽しみいただけますと幸いです。

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清水寺

清水寺は、切り立った崖の上に立つ「清水の舞台」を有するお寺として広く知られています。1994年にはユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。京都の東、音羽山の中腹に広がる13万㎡の境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍(がらん)や碑が建ち並んでいます。

伽藍

伽藍(がらん)とは、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味です。後には、寺院または寺院の主要建物群を意味するようになりました。

少し下調べをしてから行ったのですが、現地では、どこをどう回っていいのかも分からず・・・。

公式サイトから地図(巡る|音羽山)をダウンロードしてあったので、照らし合わせながら回ることにしました。写真を撮りながらゆっくりお参りしながら歩いても、1時間ほどで回れる行程です。

モデルルート

「仁王門」から「西門」→「三重塔」を経て、「仁王門」へ戻ってきました。


  • 仁王門


  • 西門


  • (鐘楼)

  • 三重塔


  • 隋求堂/胎内めぐり


  • 経堂


  • 開山堂


  • 轟門


  • 朝倉堂


  • 本堂/清水の舞台


  • 地主神社


  • 阿弥陀堂


  • 奥の院


  • 子安堂


  • 音羽の瀧


※上記のルートで括弧で囲んだ場所は、今回、写真をアップしていません。

ちなみに、清水寺は、車いすでも回れるルートもあります。

早朝のお参り

バス停「清水道」でバスを降りて、目抜き通りの清水坂を上りました。

朝6時過ぎなので、さすがにお店は開いていません。バス停から10分ほどで、仁王門(重要文化財)が見えてきました。仁王門は、清水寺の正門です。

仁王門

仁王門は、1467~1477年の戦(応仁の乱)によって焼失しましたが、16世紀初めに再建され、2003年に解体修理されました。

幅約10m、奥行き約5m、棟高約14mの、再建当時の特長を示している楼門(二階建てで上部に屋根がある門)です。仁王門の右奥に見えるのは、同じく重要文化財の西門(1631年再建)です。現在の「西門」は1631年再建のもので、ここから見る西山の日没は素晴らしいそうです。極楽浄土に往生する入り口の門とされています。

その奥には、三重塔の一部を見ることができます。

清水寺の始まり

ところで、清水寺の始まりを記した『清水寺縁起』によると、清水寺の始まりは、ここ「音羽の瀧」です。

奈良の僧・賢心(けんしん)、後の延鎮上人(えんちんしょうにん)が観音さまの夢告(むこく)を受け、その夢に従って北へと歩きます。そして、京都の音羽山で清らかな水が湧出する瀧を見つけます。その瀧のほとりで、草庵をむすび修行をする老仙人、行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会ったのです。

行叡居士は、賢心に観音力を込めたという霊木を授け、「あなたが来るのを待ち続けていた。どうかこの霊木で千手観音像を彫刻し、この観音霊地を守ってくれ」と言い残して姿を消したといいます。賢心は「行叡居士は観音の化身だ」と悟り、以後、音羽山の草庵と観音霊地を守りました。

賢心が見つけた清泉は、その後「音羽の瀧」と呼ばれ、現在も清らかな水が湧き続けています。それから2年が経ったある日、賢心は、鹿狩りに音羽山を訪れた武人、坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)と音羽の瀧で出会います。賢心は、坂上田村麻呂に観音霊地での殺生を戒め、観世音菩薩の功徳を説きました。その教えに深く感銘を受けた坂上田村麻呂は後日、十一面千手観世音菩薩を御本尊として寺院を建立しました。そして、その寺院を、音羽の瀧の清らかさにちなんで「清水寺」と名付けたそうです。

参考資料:歴史|音羽山 清水寺

清水寺参拝曼荼羅

上の絵図(画像)は、清水寺参詣曼荼羅(きよみずでらさんけいまんだら)の一部です。

16世紀半ば、戦国時代の頃に描かれたと伝えられています。

季節は春、ちょうど桜の頃ですね。絵図は、境内に咲き誇る桜や、堂塔伽藍、本堂舞台に押し寄せる人々が生き生きと描かれており、 当時の清水寺の賑わいが見て取れます。全体図には、瀧にあたったり、生活用水として持ち帰る人のようすが描かれていました。観音信仰の霊場として古くから名高い清水寺は、娯楽の殿堂でもあったようです。

また、寺内だけではなく五条橋から清水坂までの参道の風景や、門前の茶店で一服する参詣者なども描かれています。この「参詣曼荼羅」は、主に、地方へ布教に赴いた僧侶たちの絵解き(仏画などを使って法話を解説すること)に用いられたそうです。

ぜひ、美しい全体図もご覧ください >>> 音羽山ワンダーランド

参拝曼荼羅が描かれたのは、戦国時代。世情が不安定な時代に、美しい清水寺や楽しそうなようすを見て、人々は、清水寺への参拝に憧れを抱いたのかもしれませんね。コロナ禍で移動が制限されていた時も、似た感じがあったのかもしれません。大昔に思いを馳せながら、参拝してみました。

三重塔

三重塔は、高さ約31mの重要文化財です。国内最大級の三重塔、京都の町から望見できることから、古くから清水寺のシンボル的な存在だそうです。創建は847年ですが、現在の建物は、1632年(江戸時代)に再建されたものです。

随求堂

髄求堂は、1718年の再建です。

衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)を本尊(秘仏)としてお祀りしています。ここでは、胎内めぐりを体験できますが、私が行ったとき(2020年3月23日より)、一時中止されていました。

経堂

清水寺の経堂は、1633 (寛永10) 年に再建され、2000 (平成12) 年に解体修理されました

堂内には釈迦三尊像をお祀りし、鏡天井に江戸時代の絵師・岡村信基筆の墨絵の円龍が描かれています。経堂の創建の年は不明ですが、平安時代中期には一切経を所蔵し、全国から学問僧が集まる講堂として栄えたそうです。

一切経(いっさいきょう)とは、仏典を集成したもので、大蔵経(だいぞうきょう)とも呼びます。

「経堂」の先にある「開山堂」そのすぐそばに、チケット売り場がありました。

この日は、朝早いからかどうか分かりませんが、ここは閉まっていました。誰もいない境内を歩ける贅沢。

轟門

そのまま進むと「轟門」があります。

門をくぐる前に、手を洗いましょう。

ところで、お参りには作法があります。難しくはありませんが、心身を清め、自身の心に向き合うための準備をします。

マニュアル好きな日本人なので、事前に調べておきました。

この先は、「拝観チケット」が必要です。

私が行った時間帯では、轟門のそばのブースで拝観チケットを購入しました。このチケット、雰囲気があっていいですね。

  • 拝観料:おとな(400円)・小・中学生(200円)/2023年12月現在

轟門をくぐって清水の舞台に向買う途中、黒い大黒さん(出世大黒天)がいらっしゃいます。

出世大黒天

出世大黒天は、七福神の1人であり福徳と財運をつかさどる神様です。

元々は破壊と創造の神様ですが、仏教の守護神となったことで戦闘と生産をつかさどり、さらには財福・豊穣の神様となり、やがては台所の守護神とされるようになったそうです。その後、戦闘や破壊といった側面は消えてゆき、財福・豊穣の側面だけが残り、おだやかな表情の大黒天となられました。

こちらは、パワースポットとも言われ、にこにこの笑顔で迎えてくれる大黒様に参拝したあとは、必ず仕事運や金運が上がるそうです。

私も、少しご利益をいただきました(^^)

本堂

音羽山の段階に建つ、清水寺の本堂(国宝)。

奈良時代の名品「十一面千手観音菩薩像」をご本尊として安置する1633年再建の建物です。

清水寺では、2008年から「平成の大改修」と呼ばれる改修工事が行われました。工期は10年以上で、総額40億円をかけて国宝の本堂および8つの重要文化財が改修されたそうです。2017年からは本堂の改修が始まり「清水の舞台」も見ることができなくなっていたそうですが、2020年12月には2月には舞台の床の張替えが終わりました。

一番奥の内々陣にはご本尊が奉祀されており、清水寺でもっとも神聖な場所とされています。お参りの際には、外陣とその外側の廊下を進むことになります。

白木で張り替えられた清水の舞台。

多くの参拝者で賑わう舞台も、早朝だと、ほぼ貸し切り状態でした(今はどうでしょう?)。

舞台から周囲を見回してみました。

「奥の院」と、眼下には「音羽の瀧」が見えます。音羽の瀧を眺めながら、賢心と坂上田村麻呂の出会いを想像してみました。始まりの場所ですね。

「奥の院」から見た清水の舞台の姿です。

遠くから見ると、新しくなった部分が、ひときわ目立っていました。何年かすると、いい感じに馴染んでくるのでしょうね。

ところで、清水寺の舞台の高さはおよそ13m。釘を1本も使用しないで高い耐震性をもつ、懸造り (かけづくり) と呼ばれる工法がとられているそうです。舞台は18本の柱で支えられていますが、その柱には、樹齢400年以上の欅 (ケヤキ) が使われています。

ケヤキ

ケヤキは、日本を代表する広葉樹のひとつです。
材質が硬く、芯材が腐敗しにくいため、古くから重宝されてきました。
ケヤキの耐用年数は800年ともいわれ、神社仏閣の柱として不可欠な木材です。

江戸時代には、願掛けをして、この清水の舞台から実際に飛び降りた人もいたそうです。「清水の舞台から飛び降りる」ということわざがありますが、実際に清水の舞台に立ってみて『無理!』と思ったのでした。

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地主神社

ところで、清水寺の本堂を出て「奥の院」の方へ進もうとすると、地主 (じしゅ) 神社がありました。

なぜお寺の中に神社が? しかも、ご本尊をお祀りする本堂のすぐ後ろに位置しています。

階段状に神社の拝殿が立ち、その上に本殿が立つという、興味深い配置となっていました。

本堂の北側、崖の斜面の上部が地主神社の境内になるわけですが、建物が、下から清水寺本堂→地主神社拝殿→地主神社本殿と、一線上に並んでいます。この配置は、明治以前まで仏様と神様の区別なく信仰していた日本独特の信仰の形「神仏習合」の象徴であり、さらに、まだ日本という国の概念が生まれる以前にまでさかのぼる古代信仰の聖地の名残なのだそうです。

清水寺よだん堂

縁むすびの神さま大国主命を主祭神として、その父母神、素戔嗚命 (すさのおのみこと) ・奇稲田姫命 (くしなだひめのみこと)、さらに奇稲田姫命の父母神、足摩乳命 (あしなずちのみこと)・手摩乳命 (てなずちのみこと) を正殿にお祀りしています。

上の写真の左側が「拝殿」、恋占いの石を挟んで、右に位置しているのが「本殿」です。

現在のご社殿は1633 (寛永10) 年、徳川三代将軍家光公により再建されました。拝殿の南側正面が崖になっているため、いわゆる舞台造りになっており、先に進むと、京都の街並みが見えます。

本殿は入母屋造りと権現造りの様式を兼ね備えた桧皮葺極彩色の華麗優美な建築です。

えんむすびの神様なので、京都といいご縁を結びたいと思い、お参りすることにしました。

撫で大国さん

大田大神のお社の前におられる大国様は、撫で大国 (なでたいこく) さんの呼び名で親しまれています。

願いを込めてそのお身体を撫でると、手が触れた箇所に応じてそれぞれのご利益がいただけると伝えられています。多くの人の願いを受けとめ、そのお姿は金色に輝いておられます。私の願いも叶えられますように!と撫でさせてもらいました。

ご利益

*小槌:良縁・開運・厄除け
*福袋:金運・商売繁盛
*あたま:受験必勝・成績向上
*手:勝運・芸事上達
*おなか:安産・子宝
*足・旅行安全・交通安全
*たわら:出世・土地守護・家内安全・夫婦円満

水かけ地蔵

水をかけて祈願するとご利益がいただける、「水かけ地蔵」。

地主神社境内の地中からお出ましになった、不思議なお地蔵様だそうです。「開運」の柄杓を使って、お地蔵様に水をかけました。心にたまった悩みや心配事が(水を流すように)清められ、願いが叶いますように。

阿弥陀堂

地主神社から道なりに進むと、「音羽の瀧」の真上に建っている「阿弥陀堂」へ繋がります。

阿弥陀神社の御本尊は、阿弥陀如来。現在の建物は、江戸時代初期の1633年の再建で、2017年に修復が完了しました。

子安塔

清水の舞台のそばにいらっしゃったお寺の方から、「子安塔から見る景色が素晴らしいから、時間があったら行ってみて」と教えてもらったので、来てみました。

聖武天皇・光明皇后の祈願所と伝えられていますが、詳しい創建年代は不明だそうです。現在の建物は、1500年に建立されたものだそうです(重要文化財)。

子安塔から見る、清水の舞台と三重塔。素晴らしい景色を楽しむことができました。

清水寺は音羽山の中腹に建っているため、移動には、主に石段を利用します。

ただし、参道の舗装やスロープの設置により、段差なく境内を一周できる道(途中、坂道や砂利道があり)も整備されています。なので、ちょっと石段を上り下りするのに自信がないと仰る方や、車椅子を利用されている方でも、無理なく参拝することができると思います。子安塔までも、スロープを歩いて来ることができました。

その先、音羽の瀧までも、緩やかなスロープを下ることで行くことができます。

音羽の瀧

音羽の瀧は(清水寺の歴史でもご紹介しましたが)、清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧です。

こんこんと流れ出る清水は、古来「金色水」、「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。

約4メートルの高さから流れ落ちる三条(みすじ)の水は、京都盆地の地下水が地圧によって清水山(音羽山の別称)断層の岩盤から湧き出したもので、不純物の混入が少ない大変澄んだ水だそうです。

3筋に分かれて落ちる清水を柄杓(ひしゃく)に汲み、六根清浄、諸願成就を祈願します。

六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、全ての迷いから醒めて、心身が清らかになることを示す仏教用語です。

三つの瀧の霊水には、学問、健康、縁結びのご利益があるといわれています。

ただし、長い歴史の間には、たくさんの説や意味が生まれました。古くは菩薩さまの「功徳水」、心身を清める「金色水」、長寿の「延命水」として、それぞれの時代で篤く信仰されてきたそうです。また、「音羽の瀧」は、瀧の下で心身を清める水垢離(みずごり)の行場でもあったそうです。

瀧の足元に並んだ3か所の石はその足場です。

再び仁王門

1時間程かけて、仁王門に戻ってきました。

早朝の爽やかな空気の中、歴史を感じ、開放感を味わい、清々しい気分になりました(今は寒いかもしれませんね)。早朝の清水寺参拝は、静かで、ゆっくり回れるのでおすすめです。

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2024年の拝観時間とアクセス

拝観時間はこちらをごらんください >>> 交通|音羽山 清水寺

アクセス

JR京都駅から

  • 京都市交通局(市バス):206系統「東山通北大路バスターミナル」ゆき・100系統「清水寺祇園 銀閣寺」ゆきで五条坂下車
  • 京都バス(土・休日のみ運行):18系統「大原」ゆきで五条坂下車

京阪電鉄 祇園四条駅から

  • 京都市交通局(市バス):207系統「東福寺・九条車庫」ゆきで清水道下車
  • 京阪バス:83・85・87・88系統などで、清水道または五条坂下車

どのバス停からも、徒歩10分くらいです。

清水道バス停

私は、 祇園四条駅から 市バス207系統に乗って、清水道で降り、坂道を歩いて行きました。

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さいごに

早朝の清水寺を参拝してきました。

紅葉の真っ盛りの時期には、さらに美しい景色が広がるのでしょうね。ほぼ人がいない境内での散策は、期待以上のすばらしい体験になりました。清々しい早朝の散策はおすすめです。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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