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函館観光1日目。雲が多い日でしたが、2020年は函館も猛暑のようで、少し歩くと汗ばんでしまいました。函館駅前のホテルに荷物を置いて、さっそく散策に出かけます。
今回は、五稜郭 (ごりょうかく) と箱館奉行所、そしてトラピスチヌ修道の行き方(時刻表リンクあり)と観光・ランチについてご紹介いたします。
※2020年9月の旅行記にリンクを追記しました。
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1日目の旅程
函館駅・出発
- 五稜郭
- 箱館奉行所
- 五島軒(ランチ)
トラピスチヌ修道院・下車
- トラピスチヌ修道院
函館駅・明治館前・下車
- ベイエリア
函館駅・下車
- JRイン函館
利用した公共交通機関は、以下です。
- 五稜郭タワー・トラピスチヌ修道院シャトルバス(カンパス利用可)
- 元町・ベイエリア周遊号(カンパス利用可)
JR函館駅
1日目は、函館駅を中心にあちこち散策します。
明治35年に、函館と渡島大野間の鉄道が開通。函館駅は昭和18年に今の駅舎となり、平成15年に出入り口からホームまで段差なしで行けるバリアフリーの新駅舎が完成したそうです。
JR函館駅西口に「旧函館駅所在地」がありました。
ゼロキロポストもあります。函館から旭川までの起点です。
函館バス乗り場
JRの駅のすぐそばにバス乗り場があります。
「カンパス」という函館バス1日乗車券を買ったので、ここから函館バスであちこち行きます。
五稜郭タワー
まずは、五稜郭タワーへ向かいます。
JR函館駅から
市電
「函館駅前」~「五稜郭公園前」下車、徒歩約10分
・所要時間:約16分
・運賃:230円
時刻表 >>> 市電の運行時刻表(2024年8月)
函館バス
「函館駅前」-「五稜郭公園入口」下車、徒歩約5分
・所要時間:約16分
・運賃:240円
時刻表 >>> 函館バス株式会社
シャトルバス
「函館駅」 – 「五稜郭タワー前」下車、徒歩1分
・運賃:240円
5系統:五稜郭タワー・トラピスチヌシャトルバス
五稜郭タワー・トラピスチヌシャトルバス
五稜郭までは、五稜郭タワー・トラピスチヌシャトルバス で行くことにしました。
五稜郭の周辺にはバス停が何か所かありますが、五稜郭タワー前に停まるこのバスが一番便利です。
ちなみに、JR五稜郭駅から「五稜郭」までは離れており、徒歩15分くらいかかります。
もし時間があれば、普通の路線バス(もしくは市電)に乗って「五稜郭公園前」で降りて、道沿いにあるアートを見学しながら歩くのも楽しそうです。
JR函館駅からのバスを降りると、もうすぐそばに五稜郭タワーが見えます。
函館が初めての方には、(迷うことがないので)こちらのアクセスをおすすめします。
函館は緑が多い美しい町ですが、五稜郭の周りにも美しい並木道が続いていました。
シャトルバスのバス停で降りて、すぐそばの道を歩くと五稜郭につながります。
五稜郭は、星型をかたどる稜堡式城郭(星形要塞)です。1857年に着工し、工事がほぼ完了した1864年に函館山麓の市街地に置かれていた函館奉行所が、こちらに移転してきます。それ以降、明治維新までのわずか4年間、五稜郭は、徳川幕府による蝦夷地 (北海道) 統治の中心となりました。
五稜郭タワーからの景色
wikipedia よりお借りしました
五稜郭は、幕末から明治初期に勃発した戊辰戦争で、明治新政府に抵抗した旧幕府軍の最後の拠点として使われました。
五稜郭タワーの展望台からは、かつて激しい戦いが繰り広げられたとは思えないほど穏やかで美しい景色が広がっています。
箱館奉行所
五稜郭タワーからの眺望を堪能した後は、五稜郭へ進みましょう。
五稜郭には、箱館奉行所があります。
この箱館奉行所は、江戸時代後期になって設けられた江戸幕府の役所です。幕末の北辺警備と対外折衝の重責を担いました。
当初は箱館山の麓に置かれましたが、内陸の地に移転が計画され、その外堀となる五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、旧幕府脱走軍降伏2年後の1871年(明治4年)に解体されました。地上に存在した期間はわずか7年。
奉行所について
絵図でみる歴史
ペリー艦隊来箱時の絵図
1853 (嘉永6) 年にアメリカのペリー艦隊が浦賀に来航します。
翌年(嘉永7年/安政元年)には、日米和親条約が締結され、下田と箱館の開港が決定しました。
ペリー艦隊が同年4月に箱館に入港しているようすを描いた絵図もありました。
1862年頃の函館の絵図
幕府はペリーが箱館を去った翌月に、箱館奉行所を34年ぶりに復活させました。再設置された箱館奉行所の任務は、開港にともなう外交交渉、蝦夷地の海岸防備、箱館を中心にした蝦夷地の統治でした。また、箱館には各国の領事館が置かれ、箱館奉行所は外国との重要な窓口となったそうです。
ところで、奉行所の名前は「函館」でなく「箱館」となっています。明治2年に蝦夷地を北海道と改めたときから「箱」→「函」になったそうです。ただし、奉行所はそれ以前に建てられたものなので「函館」となっています。
復元された箱館奉行所へ
1862年の絵図でも分かるように、函館開港当時、奉行所は函館山のふもとにありました(そこは現在の元町公園がある場所で、函館の港と町を一望できる風光明媚な場所です)。
ということは、函館に入港する外国船からも奉行所が良く見えることを意味します。また、港から5里四方を外国人遊歩地としたので、函館山の山頂付近から役所や役宅を背後から見られる恐れもありました。
そのため、箱館奉行所は、軍事的に優れた立地であり、かつ函館市中からそれほど遠く離れていない、現在の場所に移転されました。移転先は、港湾から約3kmほど離れた場所であったため、当時の大砲の射程距離からも外れたそうです。
お堀にかかっている一の橋を渡って、入り口に向かいます。
入り口の先にある藤棚の下を通って進みます。
- 営業時間:9時~18時(4月-10月)/ 9時~17時(11月-3月)
- 入場料:500円(一般)/ 250円(学生・生徒・児童)
※上記は変わる場合もあります。
古写真からの復元
上の写真は、箱館奉行所を復元するにあたり、重要な役割を果たした資料のひとつです。
写真は奉行所正面の南西側ほぼ斜め45度から撮影されており、透視図法の手法を応用した写真解析により精密な設計を行うことができたそうです。
パリの骨董店で見つかった手札サイズの古写真は、裏に「二条御城」と書かれていましたが、調査により慶応4(明治元=1868)年ころに撮影された箱館奉行所の写真と判明。解像度の高い画像で、屋根瓦の枚数を数えることができました。五稜郭から出土した当時の瓦の大きさと古写真から読み取った瓦の枚数から、奉行所の正確な大きさを算出することができました。
復元の決め手となった古写真
見事なほどに蘇った函館奉行所の現在の姿です。
日本初の洋式城郭・五稜郭にあった箱館奉行所は、箱館戦争終結の2年後の1871 (明治4) 年 に解体されました。そして約140年後に往時の建築を忠実に再現した箱館奉行所がオープンし、2020年7月31日に開館10周年を迎えました。
建物は、釘の一本、瓦の一枚まで、細かく再現されたそうです。例えば、当時の屋根瓦には色むらが出ていたため、越前産の赤瓦4種類を混ぜて使い、当時そのままの屋根瓦を再現しました。また、解像度の高い画像で屋根瓦の枚数を数え、五稜郭から出土した当時の瓦の大きさと古写真から読み取った瓦の枚数から、奉行所の正確な大きさを算出したそうです。
見学コース
出所 >>> 見学コース
箱館奉行所の復元工事は、2006年 (平成18) に着工、2010年に完成しました。
その復元は歴史的資料に基づいて行われましたが、同時に内部を公開することから、現代の建築基準法・消防法に適合した建物とする必要もありました。
そのため、古写真に写っている建物正面を中心とした範囲で、建物全体の1/3となる1,000平方メートルを復元したそうです。
再現ゾーン
各部屋との境は美濃 (岐阜) 産の手漉き和紙を張った障子があり、天井板は竿縁 (さおぶち) とよばれる3本の細い木材が支えています。
館内の映像シアターでは、復元のようすを収めた17分ほどのビデオを見ることができますが、その過程は、素晴らしい!という言葉しか思いつきませんでした。
そのビデオを見た後に細部を見直すと、さらに感動しました。
備後畳が敷き詰められた大広間です。ふすまを開け放つと、72畳もの広さになり、四之間から壹 (いち) 之間へ進めます。奉行の執務室であった表座敷は、当時の姿を忠実に復元しています。
どの部分も素晴らしいのですが、この畳は、職人歴45年の職人さんが一日一畳半ずつ縫い上げて完成させたそうです。「本畳ってこんなにしっかりしたものなんだ!」と感動しました。
10年たっているとは思えないほどしっかりしたものです。他の部分は触れることはできませんが、畳だけは実際に匠の技を足の裏で触れて感じられます。
壹之間は函館奉行が接見を行う場所であり、1868年、この部屋で徳川幕府から明治新政府への奉行所引き渡しが行われました。
正面左には、見事な欅 (ケヤキ) の一枚板に華麗な漆黒の漆塗りの違い棚があります。
土方歳三と一緒に写真を撮れる、面白い仕掛けもありました。
箱館奉行所の太鼓櫓 (たいこやぐら) です。太鼓櫓は、時計がない当時に、時を知らせる太鼓をおさめた櫓です。
階段が急なため登って内部を見学することはできませんが、その内部もしっかり復元されているそうです。
箱館奉行所の正面から見た太鼓櫓です。この窓からは五稜郭タワーを見ることができるようです。
映像シアター
映像シアターは、箱館奉行所復元工事のようすをハイビジョン映像で見ることができる部屋です。
箱館奉行所の復元工事は「同じ場所に・同じ材料で・同じ工法で」をモットーにヒバ、マツ、スギ、ケヤキ、畳( 岡山、熊本など)、瓦(福井など)など厳選した材料を全国各地から調達しました。
そのようすが見られる映像シアターがある部屋は、同心組頭の詰め所だった場所です。
土壁の塗りなど随所に古建築の技法が発揮されています。
宮大工をはじめ優れた腕をもつ職人が全国から呼び集められ、最高の技術で工事が進められたそうです。
10年経っているとは思えないほど、きれいな状態でした。
函館奉行の日記も飾られていました。のぞき窓があり、その中には当時のようすが映し出されていました。
縁側(?)からは、箱館奉行所の周囲を見られる場所もありました。障子や扉が開け放たれているので換気100%です。
木がふんだんに使われた建物は、心が落ち着き、美しいと感じました。
普段、日本の森から生まれたアロマ (精油) をよく使っていますが、木が持つ力も体にいい影響を与えているのではないかと思いながら見学していました。
この時は1回に10人くらいしか入れなかったので、思う存分見学できたのも気持ちが落ち着いた理由かもしれません。
奉行所を作り上げているもの
このときは触れることはできませんでしたが、木材をつなぎ合わせる手法も紹介されていました。
箱館奉行所では部屋の格式に応じて、「葵六葉」「六葉」「花菱」3種類の釘隠しが使われています。
発掘調査では釘隠を確認できなかったため、佐渡奉行所の古写真に残る釘隠の意匠を基に専門の職人が銅版を打ち出し、煮黒目 (にぐろみ) 仕上げで再現したそうです。
最後の部屋には、全体の模型が飾られていました。
式台の埋め甕 (カメ)
出口には、内玄関の式台の下に埋められていたという信楽焼の大がめが3つ並んでいました。
床下の甕が埋められる事例としては能舞台があり、音を反響させることができます。
これは、誰かが奉行所に入ろうとすると、その足音を反響させて、奉行所内部に知らせる役割を果たしたと考えられていますが、何か建築に関わる儀礼的な目的があったのかもしれません。
1時間ほどかけ、思っていた以上に楽しい散策となりました。
建物の入り口には、梅の木と井戸も復元されています。
1㎞離れている亀田川から、地中に埋めた箱樋を通して五稜郭の堀と郭内外の住居用に川の水を引いていたそうです。この井戸は、その水を汲むためのものだと説明を受けました。コロナ以前は、ガイドさんがいろいろ説明してくれたそうですが、このときは自由見学のみでした。
せっかくなので、井戸と梅の木から五稜郭タワーを見上げる写真も撮ってみました。
兵糧庫
最後は、ガイドさんに教えてもらった兵糧庫を見学します。
こちらは無料で、8月の1カ月の間だけ、内部を見ることができたようです(大砲に焦点を当てた写真なのですが、兵糧庫は右後ろ、大きな木の後ろに隠れている建物です)。
兵糧庫は、1864 (元治元) 年に、箱館奉行所の附属棟の土蔵として建設されました。
1871 (明治4) 年の解体を免れた貴重な建物です。箱館戦争時に「兵糧庫」として利用され、大正時代に「懐旧館」という箱館戦争資料館として使用されました。1922 (大正11) 年、五稜郭は国指定史跡となり、その後、1922 (昭和27) 年には、北海道唯一の国の特別史跡に指定されました。
建物の老朽化や破損が進行したため、1972 (昭和47) ・1973 (昭和48) 年に函館市が解体・組み立て工事を実施して、当初の土蔵造の姿に復旧整備しました。その後、発掘調査のときに発見された柱穴跡などを基に、現在の姿に内部に復元されたそうです。中には、五稜郭の二の橋の堀底から発見された敷板や、亀田川から五稜郭の堀や郭内へ給水していた木製の上水道樋、さらには五稜郭内から出土した奉行所使用の生活道具などが飾られていました。修復の際、将来の保存に支障がない限り当初材を利用しているそうです。
なので、箱館奉行所とは異なり、歴史を感じる(かび臭い)香りがしました。
あまりにも箱館奉行所の内部が面白くて、時間がなくなってしまいました。
最後は一の橋を通って、五稜郭タワーの方へ戻り、昼食をとります。
五島軒・函館カレーEXPRESS
元町にある五島軒に行く予定だったのですが、偶然、こちらにもお店があるのを見つけました。
五島軒は、明治12年の創業から変わらぬ味を今に伝える北海道函館の老舗レストランです。
カレーにも惹かれたのですが、王道の洋食セットをいただきました。
どれも美味しかったのですが、カニクリームコロッケが特に好みの味でした。揚げたてサクサクでカニたくさんです(^^)
余談ですが、五島軒のカレーは、帰りに函館空港のブルースカイで買いました。ブルースカイなので、JALカードだと5%引き(1,000円以上)になります。
トラピスチヌ修道院
慈しみの聖母マリア
五稜郭からそのままシャトルバスに乗って、トラピスチヌ修道院に来ました。五稜郭からは30分くらいです。
トラピスチヌ修道院は、1898 (明治31) 年にフランスから派遣された8人の修道女が設立した日本初の女子修道院で、通称「天使園」とも呼ばれています。1925 (大正14) 年と 1941 (昭和16) の2度にわたって火災に遭いましたが、その都度焼失した建物が再建され現在に至っています。
シャトルバルを降りると、進行方向に赤いレンガ造りのアーチ状の入り口が見えます。そこを潜り抜けて、トラピスチヌ修道院の敷地内に入ります。
まず私たちを迎えてくれるのは、聖ミカエル像です。さらに歩くと、両手を広げた純白の聖母マリアが、私たちを優しく迎え入れてくれます。「慈しみの聖母マリア」と呼ばれます。
聖母マリアの像の右手には、天使園という資料館兼売店があります。クッキーなどを買うことができる他、修道院の歴史や修道女らの日常生活を知ることのできる展示も見ることができます。
トルドの洞窟 (上の左の写真) から石段を登っていくと、赤煉瓦の大きな建物の前に出ます。
正面左手の建物は司祭館です。1912 (大正2) 年に建てられました。修道女の信仰生活を指導するため派遣される司祭の館だそうです。
司祭館の右側の円柱状の建物が聖堂で、修道女の生活の中心となる場所です。毎日、ミサと7度の共同体の祈りが捧げられています。
屋根の上の塔は鐘楼で、ミサや共同体の祈りの始めと仕事の終わりの時刻に、大小2つの鐘が鳴らされるそうです。風見鶏もありました。
ほんの少しの間、邪魔にならないように庭を見学させてもらいました。
シャトルバスは1時間に1本しかないので、必然的に行き帰り同じ方とご一緒することになります。お話しはしませんでしたが、のんびりした感じで(お互いの写真撮影の邪魔にならないよう)散策できました。
シャトルバス
「五稜郭タワー前」- 「トラピスチヌ前」、徒歩1分
・運賃:270円
最後は、トラピスチヌ前のバス停からJR函館駅に戻ってきました。
※運賃は変わる場合もあります。
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さいごに
函館1日目は、五稜郭エリアにある箱館奉行所とトラピスチヌ修道院をメインに散策してみました。
箱館奉行所は、最初は軽く見ようと思ったのですが、その復元のすばらしさにすっかり魅了されてしまいました。日本家屋のすばらしさを実感したと同時に、函館の歴史もしっかり頭に入れることができました。
バスの本数が少ないのが難点ですが、フリーパスを利用すればおトクに観光地を回れると思います。
フリーパスについては、こちらをどうぞ。
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