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ポルトガル第2の都市ポルト(Porto)は、 ポルト歴史地区 として世界遺産にも登録されています。
ポルトの陸の玄関口「サン・ベント駅」の近くには、観光案内所もある リベルタ―デ広場 (Praça da Liberdade) があり、ヨーロッパらしい風景が広がっています。そんなポルトの町を、トラムやバス、徒歩などで散策してみました。
※2019年の旅行記です。
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1日目
坂の多い ポルト歴史地区 の歴史的建造物を巡るため、公共交通機関の利用は欠かせません。なので、徒歩での移動も組み合わせ、周る順番も考えてみました。
ホテル近くのトラム停留所「Batalha」を出発して、1日目は、以下の3カ所を周ります。
- クレリゴス教会&塔(Clérigos Church&Tower)
- サン・ベント駅(São Bento)
- ポルト大聖堂(Sé do Porto)
「Batalha」から直接「サン・ベント駅」を経由して「クレリゴス教会&塔」に行った方が効率がいいように見えるのですが、その行程はかなり急な下り坂となります。
なので、22番のトラムで一気に「クレリゴス教会&塔」に行って、「サン・ベント駅」に歩いて戻ることにしました。
「サン・ベント駅」から「ポルト大聖堂」も下り坂だったのですが、ここはそんなに急ではなかったので、町並みを楽しみながらゆっくり歩けました。
クレリゴス教会&塔
1732年から1750年にかけて建設された、バロック様式の教会と塔です。大理石のファサードには花輪模様や貝のモチーフが彫られており、とても優美です。教会は無料ですが、76mの塔に昇るには入場料が必要です。Porto CARDで、50%オフになりました(2019年当時)。
塔への入場は時間制で、さらに「狭い通路を昇りと下りの両方で使うため混雑する」と聞いていたので、教会だけ入りました。元気な方はぜひ塔に昇って絶景を堪能してください!
サン・ベント駅
とても美しいと言わている駅。
その理由は、外観だけでなく内装にもあります。
構内には2万枚のアズレージョ(青い装飾タイル)でできた壁画があり、ポルトガルの歴史を絵で見ることができます。
上の写真は、エンリケ航海王子によるモロッコのセウタ攻略のシーンです。セウタは、サハラ南部からの金などが集積される商業都市の一つでした。このモロッコ征服は、イスラーム教徒の抵抗を受け全土に及ばなかったため、その後、海洋進出に主眼を置くように転換したそうです。
美しいアズレージョの様子は、こちらもどうぞ。
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まるで絵画のように美しいアズレージョの世界
美しいアズレージョについてまとめてみました。
続きを見る
ポルト大聖堂
ポルト大聖堂(Sé do Porto) は、12世紀頃に建てられ、改修と増築を重ねてきた市内で最も古い建造物です。
ファサードの外観や双塔はロマネスク様式ですが、ゴシック様式のバラ窓や回廊、礼拝堂が見られます。内部や回廊は、アズレージョで飾られています。
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2日目:ボルサ宮殿
2日目は、町の様子が分かったので、少し歩くことにしました。
ボルサ宮殿 は、火事で倒壊したサン・フランシスコ教会の修道院の跡地に、1842年に建設されました。
大変美しい建物ですが、宮殿ではありません。「ボルサ」とは「株」を意味しており、商業組合や裁判所、証券取引所として使用されてきました。そばには、大航海時代のきっかけを作った エンリケ王子 の銅像があります。完工するまでに70年かかり、6人の建築家により手掛けられているため、複数の建築様式を見ることができます。その美しい内部は、時間別に行われる、英語やポルトガル語などの見学ツアーに入って見ることができます。
入場
夏の観光シーズンにはチケット購入にも列ができ、希望の時間に入れないこともあるそうです。
混雑回避のため、公式サイトでは チケット事前購入もできるようですが、その際はPorto Cardの割引(50%オフ)が使えませんでした。なので、私は朝早く行って Porto Cardを使って最終のツアーを予約して、他の観光地を周って戻るようにしました。
そのおかげで、すんなり入場できました。
紋章の間
入口付近の「紋章の間」は、中央の吹き抜けのホールです。
ガラス天井のすぐ下には、ポルトガルの紋章と当時ポルトと深い関わりのあった19ヶ国の紋章が飾られています。外から光が綺麗に入り、とても開放感がある場所でした。
大理石の階段を上って、紋章の間 を上から見ながらガイドさんの話を聞きました。内部の写真撮影は、フラッシュなしで可能です。
ガイドさんが参加者の国を尋ね、紋章がある場合は、示してくれます。
残念ながら日本はありませんでした。しかし、2015年に 紋章の間 の壁画が修復された際にザクセン王国の紋章の下から徳川家の「葵紋」が発見され話題になったそうです。
19世紀、ポルトに商業組合本部として建設された「ボルサ宮」内の「紋章の間」を飾る20カ国の紋章の壁画修復中、ポルトガル国王フェルナンド2世の出生地であるザクセン王国の紋章の下に徳川家の「葵紋」が発見されました。
参考サイト:読売新聞PDF
江戸幕府は1860年にポルトガルと修好通商条約を締結しており、1865年のポルト国際博覧会に徳川家からの使節団が派遣されたことを記念して描かれたそうです。
私は見つけることができなかったので、帰国後ネットで調べたところ上の写真がありました。ただ、なぜザクセン王国の下に描かれたのかは分からず・・・。また、日本で見るのとはなんか違う気がしますが、こんな離れたところで日本を感じることができるのには驚きました。
黄金の間
月に一度ポルト商工会議所の定例会議が開催されると説明があった「黄金の間」。
床の寄せ木細工も素敵です。
一見、材木で造られた会議室のようですが、ある位置から上は石膏(plaster) で造られ、その上から木製に見えるように装飾しているそうです。
ガイドさんに促されて壁を叩くと、音が違っていました(゚Д゚;)。
所どころ剥がれてしまっている部分からもその様子が確認できます。
アラブの間
ツアーのハイライトは、「アラブの間」です。
アルハンブラ宮殿にインスピレーションを受け、18年の歳月をかけて1880年に完成したそうです。現在でもコンサートや国際会議などに使われています。
同じ部屋をスマホとミラーレスで撮ってみました。雰囲気が全然違いますが、同じアラブの間です。
ステンドグラスから差し込む光もいい感じです。
床も素敵。
ピカピカ光るものが大好きなので(笑)、この部屋をなかなか出られませんでした。
ライトに焦点を置いてみました。
細かい細工にも惹かれました。
所どころにアラビア語で王様・王女様の名前を書いてあるらしいです。ツアーメンバーにアラビア語を理解できる人がいて、読んでくれました。それ自体にも感動したのですが、ツアーメンバーが世界中から集まっていたことにもビックリしました。
ちなみに、このときのツアーでは、日本人(アジア人)は私一人でした。
それにしても、美しい細工に、ずーっと見ていても飽きませんでした。
ドン・ルイス1世橋
ボルサ宮殿のツアーは30分程でした。
その後は、坂道を下ってドゥエロ川沿いへ。川沿いからは、ドン・ルイス1世橋(Ponte Dom Luís I) を見ることができます。
2016年からは「ポルト歴史地区、ルイス1世橋およびセラ・ド・ピラール修道院」として、登録名にも明記されました。橋は幅8mの2階建て構造になっており、上層は歩行者とメトロ用に、下層は自動車と歩行者用になっています。
雨だったので、メトロで橋を渡ってみました。
ドン・ルイス1世橋を渡ると「セラ・ド・ピラール修道院(Mosteiro da Serra do Pilar) 」があり、その前の広場からはポルトの旧市街が一望できます。
セラ・ド・ピラール修道院は、16世紀に創建された現役の修道院です。施設の1部のみが公開されています。朝早い時間に、修道院のそばの絶景ポイントからポルト歴史地区ならびにドン・ルイス1世橋を眺めてみました。
雨も降っていたので、彼らと私の貸し切りでした。
最後は、ショッピング・ストリートの Santa Catarina(サンタ・カタリーナ)通りへ。
その 一角にあるお店「fnac」で、朝の9時ごろ、カリヨンの音色とともに人形が出てくる仕掛けを見ました。ただ歩いているだけでも素敵な町の散策でした。
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さいごに
世界遺産の町歩きでは、至る所で中世の雰囲気を感じ、ボルサ宮殿の美しさに息をのみ、散策しているだけでいろいろな発見がありました。
また行きたい町のひとつです。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。